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スペシャリストコラム

文化財やミュージアムのDXの意義や課題、
理想について
― Digital×北斎展に添えて ―(後編)

久保田 巖(くぼた いわお)

久保田 巖(くぼた いわお)
株式会社アルステクネおよび株式会社アルステクネ・イノベーション代表取締役CEO、CTO

2012年にデジタル文化産業の創出を目標にアルステクネを設立。超高品位三次元質感画像記録処理技術(μ単位の立体質感を再現する技術)DTIP(特許取得)を中核とした次世代型文化財デジタルアーカイブ技術「Re-Master Art」を開発。以降、仏オルセー美術館をはじめ、国内外の数多くの美術館、寺院などの文化財のデジタル化と認定データ制作、活用事業を手掛ける。2020年からNTT東日本、 NTT ArtTechnologyとの協業により、世界初のネットワーク分散型デジタルミュージアム事業「Digital×北斎」を推進。
著書に『臨場鑑賞 生まれ変わったオルセーの美』(エムディエヌコーポレーション)、『北斎と廣重 美と技術の継承と革新』(リックテレコム)、共著に『地域活性化へ 文化・芸術のデジタル活用』(リックテレコム)など。
https://www.arstechne.co.jp

前編はこちら


文化財やミュージアムの果たすべき機能や役割、そしてデジタル技術の可能性や課題について語っていただいた前編に引き続き、後編では久保田氏が考える文化財やミュージアムにおけるDXの理想形と、それを実現するデジタル技術開発への取り組みについて、葛飾北斎の八方睨み鳳凰図の推定復原プロジェクトの事例を交えながらご紹介いただきます。

文化財やミュージアムのDXの理想

前編で述べた課題を解決するために、私はまず、コミュニティの中核として、文化財の運用形態のデジタル化があるべき姿をモデリングすることから始めました。文化財には有形、無形がありますが、ミュージアムでは主に有形文化財を保管しています。また有形文化財は、絵画、彫刻、陶芸などさまざまな種類がありますが、立体物は型取りや3D計測といった複製技術がすでに確立され、ミュージアムでも運用されていますので、前例があまりない絵画などの平面文化財(実際は平面ではないのですが)を対象に考えました。絵画作品はデジタル化されると、アニメや漫画、キャラクターデザインなどと同様の性格を持ちます。認知度が高く、ディスプレイ表示、動画変換、デジタルプリントなど多くの形式に対応しなくてはなりません。

また、古い作品ほど著作権がフリーとなることもありデジタル化のニーズが高くなりますが、これに反比例し価値は高くなる傾向があり、容易に撮影することはできないという特徴を持ちます。つまり、運用については価値が高い作品ほどリスクが高く、トレーサビリティと、強固なセキュリティが必然と言えます。文化財は国や地域の財産であり、文化財をデジタル資産として運用することはコミュニティ自体の力や価値の向上に直結するのです。

以上の考えから、マスターデータは厳重に管理し、色調や質感などの特徴を可能な限り反映した運用用リサイズデータ(レギュラーデータ)を作り、NFT認証や強固なセキュリティ環境下で統一した基準と認可のもと、水源から流れる川のように運用する(私はRIVERHEAD型と呼んでいます)構造が理想と考えます。

RIVERHEAD Digital Archives

次に、根本的な課題の解決に取り組みました。運用を考慮するとデータの形式はイメージデータが理想ですが、実際の絵画作品は、例えば、日本画の場合、多層構造であったり、反射率や粒子サイズの異なる顔料がランダムに使用されていたり、微細な凹凸があったりします。これらの情報は平面解像度を上げるだけの方法では記録できません。また、浮世絵版画を例にとると、手漉き和紙の繊維の質感自体が表現の重要な要素であったりします。そこで絵画作品を三次元構造と捉え、多種多角度の光源による高精細画像から、擬似立体画像を生成する、DTIP(Dynamic Texture Image Processing)という技術を開発しました。

DTIP Digitalization

そして、高解像度高品位のマスターデータを絶対値として、これを中核に多様なアプリケーションに拡散するレギュラーデータを定義し、Riverhead型の運用モデル「リマスターアートアーカイブ」を構築しました。これらは画期的で、DTIPにより制作された高精細プリント(マスターレプリカ)は、もはや肉眼ではオリジナルと見分けがつかない程の微細な立体質感を知覚でき、反射錯覚を起こさせます。さらに、最終的にイメージデータとなるので、多様な用途で活用できます。

※DTIP処理によるデジタルプリント(実際は非反射平面)

公開においては、マスターレプリカは、照度や距離などの環境制限のない展示を可能とし、これまでにない高品位な質感情報や正確な色調のデータを、多様なアプリケーションを用いてネットワーク展開することで、時間と空間を超えた展示が可能です。

弊社では、これまでこうした文化財データを制作し、独創的なアプリケーション開発を行なってきましたが、運用に課題がありました。

アルステクネ社の体験型Digital Application

ネットワークの回線スピードとセキュリティの問題です。貴重な文化財のアーカイブデータの容量は大きく、地域や国の財産である本物と極めて近い複製まで可能とするもので、無作為な運用は許されません。この問題を解決したのがNTTのICT技術です。日本全国に張り巡らされた高速通信やセキュリティ基地局回線網のインフラによって、超高精細データは運用フェーズに入ることができたのです。そして、NTT東日本、NTT ArtTechnology、ローランド ディー.ジー.との協業により実現したのが、分散型Digital Museum “Digital×北斎”です。

Distributed Digital Museum “Digital × Hokusai”

“Digital×北斎”では、葛飾北斎最大の肉筆画、5m×6mに及ぶ岩松院天井絵鳳凰図を約1000億画素でDTIPを用いデジタル化する試みを行いました。その結果、作品は未完成で、重ね塗りにより反射すると銀色に光る油煙墨の線描で描かれ、当初49m2もの金箔を背景に敷く計画であったこと、降誕会(仏陀の生誕祭)の夕陽に向かって修行を行うと、金と銀に光り輝く姿を観せるように建物を含め設計されていることが分かりました。しかし、現在は寺院の前に建物が立ち、この姿はオリジナルでも観ることができません。そこでDTIP処理済み画像を質感毎に分離し、ローランド ディー.ジー.の最新UVインクジェットプリンターによる多層化印刷により、北斎が意図であろう天井絵の姿を推定再現しました。また、寺院を3D計測し、実物大の5m×6m×5mの空間に江戸時代の降誕会の様子を立体投影再現。高照度照明装置と連動させ、鳳凰図が夕陽を浴びて光り輝く姿を体験できるようにしました。

この試みは画期的です。DXにより、知られざる作者の制作意図を解明し、170年余の時間と240km(小布施〜東京)の距離を超えて真の作品の姿の鑑賞を実現したのです。

ローランド ディー.ジー.の多質感デジタルプリント

江戸時代の姿を空間再現した3Dダイブシアター

可能性は無限です。重要な美術品や文化財は国や地域のアイデンティティそのものとも言え、そのDXは、人類が歴史に刻んできたクリエイティビティの真髄に、誰もが時間や空間を超えてアクセスし、保有者のあり方や鑑賞の方法に変革をもたらし、鑑賞者により深い知的体験を提供することができるのです。

また、異文化間における相互理解と尊重、対話の促進の大きな一助となり、そこに生まれるグローバルなネットワークやフィールドは、新たなイノベーターを育て、次の時代のクリエーションやイノベーションの土壌となる可能性を秘めているのです。

「Digital×北斎」
詳細はこちら https://www.ntt-east.co.jp/art/

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